
旅ノート。カムイではない、積丹かもいYHに予約をいれたようです。二日目にしてまだまだ、道内入りを果たしてない。昔は遠かった。
青函連絡船に、のって、やっと、そこまできたなあ、という感じです・。21時過ぎから夜中まで青森駅で過ごす。そういや、駅で長いことすごしたな
あちこちで、
この見にくいがぞうですんません、ぼくは、座敷みたいなところで、寝ていたが、トイレいいって帰ってくると、大きな体の女性がふたりもその場所を占領して、ぼくは眠れなくなった。ウエザーガール というのは、たしか、映画の題名であったようだが、記憶にない。
ぼくの乗船した、桧山丸は二代目であった。青函トンネルが、このころ難関突貫工事をつづけ、やがて完成する。この船の運命はそこからまたはじまる。
以下、ウイキペディア参照
1988年(昭和63年)8月、財団法人少年の船協会へ2億8千万円で売却され、同協会の20周年事業として和歌山県の三井造船由良工場で旅客用浴室・イベントホール、車両甲板後部への旅客用食堂設置など船内を改造、エンジンも重油使用に改造の上、1989年(平成元年)3月23日に青少年研修船「21世紀号」として竣工し再就航し3月27日から4月4日まで東京晴海 - 釜山間の航海より就航し、船体前方3分の2は第二期計画用の予備スペースとして改装されなかった[151]。その後予想以上に運航経費がかさみ1992年(平成4年)係船され、1999年(平成11年)4月に韓国企業が6千万円で購入し、釜山 - 馬山間でフェリーとして運航する予定だったが、2000年(平成12年)には、シンガポールのPrima Bridge Island Pte.の保有船となりカーフェリー「RISING STAR III」となった[152]。さらにインドネシアのフェリー運航会社PT Prima Vistaに売却され、「Mandiri Nusantara」に改称されたが2009年(平成21年)5月31日、スラバヤのタンジュン・ペラ港から東カリマンタンのバリクパパンへの航海の途中、カラミアン島沖で車両甲板にあった車両から出火し、炎上ののち船体は全焼した[153]。この事故では、350人の乗客・船員は救助されたものの、乗員5名の遺体が収容され15人が行方不明となった。
悲しいことに、インドネシアの海の上でフェリーとして余生をすごしながら、乗せた車が火災を起こし、終わった、
いまは、みんな、北海道に行くには飛行機でとぶか、新幹線。早くて楽だけど、つまらない。ああ、つまらない。
旅はその土地の人と出会い、空気を吸い、ゆっくりといろんな思いを持ちながら、ゆくもんだ。
風の吹くまま、気の向くまま、旅は道ずれ、世は情け。
2025/02/20 記す 続く。
