かもいには、連泊した。僕が着いた頃はペアレントの「おかあさん」と呼ばれる人は居なかった、絶大になる人気のかた、このかたも2002年ごろお亡くなりにこのユースもいまや廃墟になっているという噂である。かもいの人たちは、かもいっこ。と呼ばれ、全ての人が着いたその晩にかもいネームをつけられる。ちなみに、ぼくは忘れられていて、周りの人が、カメラマン という名前になった。
ここでのユースで参加すべきは「西の河原8時間コース」というツアーであった。当時は積丹半島は未踏の地であり、神威岬まで船でしかいくことができない。海岸をあるき、山並みを超えて、崖をのりこえて、賽の河原 ということろまでいくのだ。ぼくは日頃の運動不足であるせいか、なんでもへこたれて、最後のほうを歩いていた、みんなはさきにゆくのだが、心配して待っていてくれる、女の子は二人もいたが、その子たちも平気で山越谷こえ進んでいた。

おしりの汚れを見せている自分。西の河原で かもいネーム うぃちゃり(小林君)ツアーリーダー 2人目 名古屋の鈴木さんかもいネーム(パフリカ)10人目

8時間コースのメンバーたち。伊藤君(ぱー2)4人目 大東市柳君(ちゃげ)の友人8 川上君(さだおか)9 赤いつなぎ尾道の行広さん(ぐずろく)岡山の溝口さん(グッズ)世田谷の岩沢さん(まさかど)10人の人々と知り合った。




帰りにはすっかり仲良くなっていった。もうみんな、60代半ば・・。どうしてるんだろう
2025/02/20記す 次回、かもい脱出
追記 https://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/SYAKOTANSAINOKAWARA.htm
西の河原のことを書かれているサイトです。井手口さんの「北海道旅情報」その中に かもいのことが書かれています。あれから国道ができ、さいのかわらまで車で行けるようになりましたが、再び落石などがおおいとか、いまはどうなってるのか‥。行ってみたいと思う。

前のまんなかのひとが、おかあさん、おかあさんもいろいろあったんだ。もう一枚、写真があったけど、どこかにいった。
おかあさんは、ぼくに
「もう、いくのかい、もう一泊していきなさいよ」と、繰り返し言ってきた。うわさできいたけど、旦那さんはエリも岬でYHやっていて、若いヘルパーと出来て別れたとか・・。その襟裳も有名ですが、そのYHも無くなった、みんな。みんな、夢の跡。