北海道の旅 1983 02

1983年7月31日 日曜日  臨時急行銀河52号は 朝9時半に品川駅に着いた。暑い東京であった、

就職活動で東京に来ている同級生と、どこかで会おうと思っていたが、止めた。

秋葉原にいって、ミニFMのパーツを買うか、ウォークマンのヘッドフォンを忘れたので買いに行こうとおもったが、止めた。

上野駅にいき、コーヒー東でアイスコーヒーを飲む、昔は、喫茶店が好きだった。

京成デパートにより、水着のトランクスと、イヤホーンを購入。なんだかんだで、昼前になった、

上野駅、東北本線に向かい、11時54分 急行まつしま5号にのり、仙台を目指す。

ホームでは盛大なお見送りや、別れをしのぶ親子がいた。

おばちゃんと、おばあさんの別れである。

まつしまにのって、待っていると、さっきの別れをしのんでいた、デッキ前で話し込んでいた、おばちゃんが前に座った。

前に座っても、窓をあけて、そとのおばあさんと話をしてる。おばあさんはうっすら涙を浮かべていた。

上野駅を出た急行まつしま5号の中で、ぼくは、おばちゃんのため息を聞いた。

「あのね、わたしね、浅草の人なんですよ、でも仙台に嫁に行ってね、私の母が訪ねてきたの・・」

ぼくは、はてな、と思った。上野駅に乗って仙台にむかうのに、仙台には自分の家。逆じゃないのかあ

「母が来て、仙台駅に見送りに行ったの、でも、なんか、寂しくて悲しくなって、そのまま列車に飛び乗ったの・・」

あ、そうか、それで、ユーたんするんだ。と、納得した。

62歳で、母が80歳・。仙台に嫁に行ったの・・。この話を5回 繰り返した。

あまりにも自分のことばかり話すので、ぼくのことが気になったのだろうか、

「あなたは学生さん?」

「はいそうです。」

「どこの大学ですか?」

でた、このどこの大学ですか、よく聞かれる、あんまりいい大学ではないが、好きな大学である。どうどうと答える。

「京都産業大学です」

「あ、そうですか、京都農業大学ですか?」

あ、間違えてる、まあ、いいか、

「どこにいかれるのですか?」

「北海道です」

「あ、それで酪農をやられるんですね、農家ですか?」

あ、また話が変な方向に、いってしまった。もう訂正するのも面倒なので・・

「酪農家です」と、答えた。

おばちゃんは、仙台土産のささかまぼこを何本も出して、くえくえ、と僕に進める。網に入ったみかんも取り出した。

しかし、仙台に行く電車で既に、仙台の土産物を食べてる不思議さ。まてよ、このかまぼこは、お母さんが浅草に持ってゆくはずだったものではないだろうか、心配になってきた。

仙台駅に着いた。旅で出会った最初の人は 62歳の仙台のおばちゃんだった。おばちゃんに、元気で農業をしてくださいといわれ、はいと、答えた。

もうぼくは、あのときのおばちゃんよりも年上になってしまった、おばちゃんも亡くなっているのだろうか、

つづく 2025/02/19