1987年4月9日から1989年4月6日まで、TBSラジオ制作の深夜ラジオ番組『スーパーギャング』で放送されていたラジオ番組。
放送時間は毎週木曜日深夜(金曜日未明)25:00 - 26:45(午前1:00 - 2:45)。1987年当時、東京再進出を果たした鶴瓶の『セイ!ヤング』(文化放送 火曜日パーソナリティ。1978年4月 - 1979年3月)以来、8年振りとなったAMラジオ在京キー局のラジオ番組.
僕は、この番組を聞いてたことがない。師匠がぼやいていたのが、当時、ブレークしていた、ビートたけしのオールナイトニッポンの 裏番組。
「勝つわけがない」 師匠もそういいながら最大限に努力し、いろいろやったんだと思う。
鶴瓶師匠は、次々と深夜ラジオを 降板していた時期で
『MBSヤングタウン』土曜日(MBSラジオ)を1988年12月に降板。
1989年3月で当番組が終了。
『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』(ラジオ大阪)は1989年10月に終了した。
深夜放送も転換期にあったと思うし、世代交代が進んでいた、一部のラジオでは、女子大生ブームで、素人の女の子にDJをやらせてるのがはやった。これは致命的な若者のラジオ離れを進ませ、ラジオでのDJという職種の人間を育成せず、お笑いタレントやアーチストを呼んできてやらせたりして、余計につまらなんもんになった。
鶴瓶師匠は、ラジオはなくなるが、CMやテレビなどは増えつつあった。

関西のスター、鶴瓶が東京進出失敗。週刊誌にこうたたかれた。
関西の芸人には二回の試練があり、関西で売れて、東京でも売れないといけない。たいていのタレントは、東京で売れなくて関西に帰る。
関西では自分の庭のように笑いをとるが、関東では意識が強くなりすぎて、焦りが出るのか、諦めが入るのか、
このラジオもがんばられたけど、関西のようにはいかなかった。30代半ばで 試練が訪れる。
しかし、僕は思うには、鶴瓶師匠には、危機になると、さっと、誰かかが出てくるのである。ミッドナイト東海の時も、リスナーに助けられた。
ヤンタンではおおなべさんに助けられた。ぬかるみではがんさんに助けられた、事故事件になることもあったのかもしれない。
今、揺らいでいる、フジテレビの「笑っていいとも」の横沢さんが、この番組がたけしさんのうらであることもあり、おわるだろうと
そのときに、レギュラーに鶴瓶さんを入れたいと思っていたとか‥
そして、たけしさんも、その存在を認め。関西に帰ろうとしていた鶴瓶師匠を見て、関係者に
『あの男を、返してはいけない』 と、ビートたけしさんは、言ったという。
「マスコミには、『鶴瓶、東京進出失敗』なんて書かれたりしました。でも、強なったなと自分で思ったんですけど、別の番組でそれをネタにして笑うてる自分がいましてね(笑)」師匠は語る。
出典 https://forbesjapan.com/articles/detail/40098
「あきらめずに自分を変えないで頑張っていると、ちゃんと誰かが見てくれているもんなんです。自分を忘れ、余計な計算をして横にそれたりするとダメになる。あくまで自分のラインを貫くことがすごく大事なんです」
「美意の按配」この言葉が鶴瓶師匠は好きだという。
このラジオは、鶴瓶さんにとっては東京に二回目のチャレンジの試金石だったのだ。
2025/0203 続く
追記 美意の按配
ある国の王様が、信頼している家来と一緒に虎狩りに行きました。
山深く奥へと行くと、死んでいる虎を発見します。ところがその虎は死んではなく、寝ているだけでした。油断して近づいた時に、王様は虎から小指をかじられてしまいました。
王様が怒って、
家来に『お前がいて、どうしてこんなことが起こるんだ』言うと、
家来は『それは”美意の按配”です。全ては決まっているのです。今は不幸に思われるかもしれませんが、これがあるからこそ、後に役に立つことがあります』と答えました。
しかし王様は激怒して家来を牢に入れてしまいました。
怪我も癒え元気になった王様は、また虎狩りに今度は一人で行ってしまいます。
しかし今度は原住民に捕まってしまい、神への生贄にされることになりました。
王様は体をきれいに洗われ、まさに生贄にされようとした時、小指が欠けてることが分かり不浄だということで解き放たれました。
帰国して牢屋に入っている家来に、
『これが美意の按配ということか?』と尋ねると、
家来は『そうです、王様。これが美意の按配ということです。あなたが私と一緒に狩りに行っていたら、私は生贄にされたことでしょう。王様はあの時虎に指をかじられ私を投獄したからこそ、王様も私も今生きています。』と答えました。
まさに、スーパーギャングは、コサキンが天才的に面白かったけど
追記
2019年4月28日 のネット記事
落語家の笑福亭鶴瓶(67)が26日、司会を務めるのTBS「A-studio」(金曜後11・00)に出演。ブレークのきっかけを作ってくれた恩人として女優の黒柳徹子(85)とのエピソードを披露した。
この日ゲスト出演した黒柳に「長いことお世話になっている」と明かした鶴瓶は、自身が大阪から上京してきた当時を回顧。「東京に出てきてアホなことして失敗するんですよ」と結果を出せなかったが、それを見かねた黒柳から所属事務所に手紙が届いたという。
過去にコンサートで共演した経験もあったことから、黒柳は「あの人(鶴瓶)は私の番組だったらなんとか生かすことができるから出てほしい」と評価。鶴瓶は「それから徹子の部屋に7回出てる」と黒柳が司会を務めるテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜正午)に呼ばれるようになったという。
「みんな徹子の部屋見てるから、こいつ面白い奴やなってなっていろいろ仕事が来るようになった」と鶴瓶。芸能界に名を広めるきかっけを作ってくれた恩人に感謝していた。
黒柳さんは、どの番組を見て、鶴瓶さんの個性をしったのだろうか、師匠のテーブルの上には、なんと鶴瓶話のネタ帳のファイルがある。
黒柳さんはパンダが好きだったしな 関係ないか 2025/02/06
