我が心の師匠 鶴瓶師匠

このページは僕が中学高校と大好きであった、鶴瓶さんの昔の話をしたいと思う。いまでも活躍されているが、ぼくはその人気のすごさに驚くのである。

高校の時(1976年ごろ)に 東灘寄席に友人といった、鶴瓶さんがでるので、
木曜日のミッドナイト東海の4畳半のコーナーに電話して。明日寄席にいきますよと、次の日、魚崎の公民館で、待ち構えてると鶴瓶さんは、タクシーで、到着。しかも、10分前・・。
しかもだ! その日のとりは、松鶴師匠、普通なら、師匠の前に入り、着物や羽織の世話をしないといけないのだが、一番最後。
彼はおおのいて、あせり、
「もうあかん、よう 楽屋にいかん、」
と階段の踊り場で座り込んだ。
ぼくと、友人とで、鶴瓶さんを抱き上げて
「そんなこというたらあかん」
泣きそうになりながら、ぼくらにけつをおされて楽屋にはいった。
「なんや、おまえ、高校生にはげましてもらわんと楽屋はいれんのか!」師匠は、怒っていた。
鶴瓶さんの出番は顔が引きつったままであった

丸物 ワイワイカーニバル ラジオ収録。鶴光師匠と 小林京子さん KBS京都

仁鶴師匠のがんばり、鶴光師匠の人気。それに鶴瓶さんの人気。松鶴一門はすごい人気が出た。