たかじん

哀しき紙芝居 という本では たかじんのことを書いておられる、おちのところは自分で本を買って読んでください、廃盤ですが

たかじんと鶴瓶さんは、本当に気の合う仲のいい二人だった。鶴瓶さんのいくとこいくとこゲストで来るのである。またでた。売れない頃はたかじんさんは必死だったのか、もうたかじんさんが亡くなって、何年たつのだろうか・・。たかじんさんが、ABCのひるおびの「夢時々たかじん」だったか、あの番組でブーレークし始めて、歌もどんどんヒットし、持ち前の面白さでテレビ番組をどんどん作り、人気者になって行った。あのとき、売れない頃のたかじんさんを僕は思い出していた。売れてよかったなあ、と思ったし、何がきっかけで売れるかわからへん。鶴瓶さんのほうが先に売れていたことはたしかである。

シュークリームの話。この話は最初に聞いたとき、爆笑した。伝説の話。

しかし、それぞれ関東関西で忙しくなり、逢わなくなって、だいぶ前にMBSの深夜のTVワンマンだったか、鶴瓶さんと二人でえんえん酔っぱらって話す番組があったが、あのときは、なんか、違うな、昔と違うな、と思った。たかじんさんがはずかしかったのかな。

たかじんさんが病に倒れ、64歳の若さで亡くなった、もう11年前。年末だったか、鶴瓶さんは好例のハワイ休暇。

たかじんが亡くなった。鶴瓶さんはあわてて、大阪に戻った。

そこにはメモはひとつ残っていた、愛すべき悪友 鶴瓶さんに残した、紙切れ

  「お互いに、金なかったな、でも おもろかったな」

 哀しき紙芝居には、若き日の二人の話が書いてあった。

 

#たかじん #笑福亭鶴瓶

2025/02/02   鶴瓶さん、がんばれ、たかじんも応援してる。

 

たかじんのKBSのズバリクの最終回の最後のとこ、ユーチューブで見つけました。マイウェイがすきやったんやな、この最後のアナウンサーのおわびについては、たかじんがある高校の女の子をブスと番組でいってしまい。たまたま聞いてた先生が怒り、問題になって降坂。水曜日の担当を 1978.01から 1979.01.20までやっていた、鶴瓶さんは火曜日1976年から1977年の4月まで放送。