英五が亡くなって、もう何年たつのだろうか・・。もう彼の歌をラジオで聞くこともあまりない、若い人も知らない人がほとんどだろう。
こんなにすさまじい歌を聴かないでもったいない。
ぼくは、鶴瓶さんのミッドナイト東海にゲストできて、その後、ぬかるみの世界でも 「てんびんばかり」が何度も流れ、ファンになった。
鶴瓶さんに曲を提供し、ジョイントコンサートをやるようになった、鶴瓶さんが一時期コンサートをあちこちでやられていたのは、英五の影響であると思う、
もともと、あのねのねの、バックバンドで、「青春旅情」などの歌も作り、関係せいがあった。
彼は、「ホモサピエンス」というバンドからデビューし、歌いかたも魂がこもった若い歌だった。

ぼくの本棚の奥の方で眠っているこの本は、彼の半生を、確か、新聞などの掲載をまとめてだしたもの。
1994年にでたから、震災前のとしなんだ。印象的だったのが、売れない頃は、自分でレコードを抱え、流しのようなことおしながら
飲み屋街を歩いたそうである、あのおじさん、このおばさん、ママ、一枚一枚レコードを売る、その人たちの顔を見る。感謝する。
その一人一人の顔を浮かべて、今日は10枚売れた20枚売れた、と暮らしていた。
「酒と泪と男と女」の歌は、「人類」という1975年にでたLPに最初はいっていた。1977年にショーケンがシングルを出し、75年にもLPに
この歌を入れ、そして、CMにも採用され、人気が爆発的に出て、オリコン9位までになった。
本人はこのすさまじい変化にとまどい、手売りしてたレコードが、勝手に数万枚売れたことに、買ってくれた人々のイメージがわかない、
と、書いていた。売れたことに困惑する。彼はその後、人気者になってゆくのであるが、
彼のスタンスは、自分を知らないひとたちに知ってもらために、わざと、地方の小さな会館でコンサートをやったりしていた。
それもバイクでいくのだ、この模様はNHKのドキュメントで放送された。
以下ウイキペディア参照
河島 英五(かわしま えいご、1952年(昭和27年)4月23日 - 2001年(平成13年)4月16日)は、日本のシンガーソングライター、俳優。
大阪府東大阪市出身。大阪府立花園高等学校卒業。
晩年は、大阪府四條畷市に居住した。
身長は182cm、血液型はB型。
忘れられないのが、阪神大震災のあとの復興支援のためのチャリティーコンサート。これも亡くなった後も続いた。べかやんが継いでくれた。
忘れられないのが、ニュース番組で、生田神社のまえで、歌った、
「生きてりゃいいさ」泪がでたよ。英五有難う・・。絶望の神戸にのひとびとにひとつの明るい街灯のようなものだった。
英五の数々の名曲がありますが、
まずは、この歌からと思いました。



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