僕が好きだったオフコース  01

オフコースは絶対に再結成しないようだ。僕の思い出とオフコースを語っていきたいと思う。

オフコースは 一応、ウイキペディア参照では1967年から活動とある、僕が1961年生まれだから6歳のころか、僕的には1970年のシングル発売がデビューであると思う。いつ、好きになったか、はっきりとは覚えていない。中一か中二頃だろうか、

1995年に阪神大震災がきて、神戸の僕の実家はぼろぼろになった。僕が残したものがつまった部屋はがらくただらけ、それらが地震で崩壊した、震災が落ち着き、部屋をかたずけ、いろんなものが出てきた。おかんが、もういらないやろう、と、電話してきたのは1997年ころか、結婚した次のとし。黄ばんだ段ボールの箱にたくさんのレコードが出てきた。本も雑誌も、カセッテテープは数百あったろうか、レコードだけはおいておいて、と僕は頼んだ。

オフコースのLPが出てきた。段ボールの中で何年眠っていただろうか、そうだ、ぼくはオフコースが好きだったんだ。別にファンクラブも入らず、解散騒動も、1989年の解散も、あのときはふーん。という感じであった、

とにかく、歌が好きだった。音が好きだった。

そういう、思い出を書いていきたいと思う。

1983年にオフコースが休止して、困ったのはぼくだ。聴く音楽が止まった。

しかし、怒涛のように様々なアーチストが出てきて、洋楽もブームになり、すっかり、もう、すっかり

オフコースは、忘れた。離れた。

下宿の先輩に言われた、「おまえ、いっつも、オフコースのテープをヘッドフォンで聞きてたなあ」

大学の友人にも、「オフコースの話を聞いたら、お前を思い出すよ、」

そうだった、人から言われて再認識。そして、段ボールからレコードを出した。

聴きたい、ステレオのターンテーブルを動かそうと思った。しかし、モーターが動かなかった。

ヤフオクでターンテーブルを買い、レコードを載せて、針を下ろす。

一気にあの時にタイムマシーンでも乗ったように、戻った。

あのころのぼくがそこにいた。

そこから、再び、オフコースファンを一からやり直すことにした。

やっさんが抜けてからのオフコースはほとんど聞いていない。やっさんが抜けてからソロになったときは LPをレンタルしたりして聞いていた。

そう、レンタルレコードの時代に突入し始めていた。

LPは、買い始めたころは2300円ぐらいで、そこからどんどんあがり2800円くらいになった。

子供には、高い金額だ。いまなら5000円くらいかな、LPがでるまえにこずかいをためるか、バイト代をおいておくか、

お年玉とか、結構、高くて参った。だから宝のようだった。

仲のいい奴でもなかなかかさない、貸しても返さないのがいる。貴重品だ。

姉がいて、ユーミンやタツローがすきだった、その姉がたまに、アリスを友人から借りてきて、こっそり聴いた。傷でもつければ怒られる。

ひそかに、カセッテテープにダビングする。

アリスは、オフコースと同じレーベルだった。アリスは先に売れた。ぼくが中学一年のときには売れ出した。関西では特に、金曜日のヤンタンをちんぺいちゃんがやっていたので、よく、聴いた。でもレコードは買わない。

まあ、帰る金が無い。

レンタルレコードが出てきてからは、どんなものでも聴けるようになった。それは天国であった。

アーチストには地獄であった。印税が入ってこないからである。

話が大いにそれてきたところで、このページはとりとめもなく、終わるのだ・。 2025/02/04