2025年、あれからもう30年。なんども震災の体験を記事にしてUPしたけど、もうない、探してもない。忘れるだろうから、書いておこうと思いつつ、三回目の挑戦で記憶をたどってみよう、
1995年1月16日。前日は成人式であった。ガスト伊丹瑞穂の店長であった私は、正月明けで休みもなく、やっと休みが来るという日。
しかし、前日もよく寝て居ないのに、眠れない。本当に眠ることができなかった。一晩中、起きていた。
5時46分、激しい音とともにトンデモない揺れが襲ってきた。暴れ馬のようなかんじ、部屋には倒れるようなものがないが、何が起きたか理解できなかった。自分の店はすぐ近くにあり、マンションを飛び出て、店に向かった。まっくらなのに、なぜか、ぼーっとあかるい、
店のバックヤードのほうにいくと、社員の北井さんが、泣くような声で
「出してくれ!」と叫んでいた。靴箱の棚が倒れ込み、ドアを外から抑え込んでいた。
「大丈夫か?火災は起きてないか?」
店の閉店作業は終わって、ガスも閉めていたようだった。キッチンにはいると、コンベアオーブンが倒れ込んでおり、フライアーの油はこぼれて半分になっていた。お皿もあちこちでわれており、散乱していた。
「営業中でなくて、よかったな、営業してたら、キッチンの山下くんがあぶなかった」
社員の北井さんに、とりあえず、家にすぐ帰って、奥さんの安否を確認するように返した。
店に残り、とりあえず情報をとろうと、自分の車にのり、ラジオを点けた。
FM802の朝の番組、シャーリーさんがやっていた。
「神戸のほうが激震地で、たいへんなようです」6時過ぎの情報だった。
僕は慌てた。実家の神戸御影の家が心配になった。店のことを忘れ、そのままエンジンをかけて、神戸に突進した。店のカギをかえないまま・・。
伊丹の天王寺川ぞいに南下、何回も何回も震度4くらいの余震でくるまが揺れる、川沿いの向かいの送電線がスパークしていた。
何とか171号線まででた。信号機は全て消えている。未だ、車は少ない。
171号線を西宮に向かう。阪急今津線の門と厄神の高架を登り始めたときだ、車が全部引き返してくる。おかしいな。
なぜだろう・・。すると、橋が阪急路線に落ちていて、道路はなくなっていた。びっくりした。

出典引用 毎日新聞社 https://mainichi.jp/graphs/20160912/hpj/00m/040/005000g/20160912hpj00m040182000q
画像を毎日さんからお借りしています。数台の車が落下されています。前の車が引き返してなかったら、ぼくも突っ込んで落下していたかもしれません。
171号線を引き戻し 中津濱線を南下することにした、信号は全部消えており、未だ警察官おらず、みんなが徐行しながらお互いの道をいくかんじであった。2号線も恐らくパニックで走行不能だろう、そう思い、43も過ぎて浜の臨港線まででた。西宮の酒蔵のあたり、酒蔵がすべて崩壊していた。家々からひとびとが毛布にくるみきのみきのままで悲壮な顔をして、道に出てきている。忘れらない顔が、子供を抱えた奥さんが泣きながら歩いてる。
西宮の浜から 芦屋のほうに向かった、あたり一面、ガス漏れで、異様なにおいがしてる。誰かが叫んでいる。
「ガスが漏れていますから、注意してください」
なんとか、芦屋川までたどり着いた。まず、親戚の家を訪ねた。大丈夫だった・。川沿いに43のほうにでようとおもった。
芦屋川のあたりで、車が数台放置されたいた。
そして、見上げると、あの光景が目に入った。
阪神高速道路の高架橋が横倒しになっている。古いどこかの大きな遺跡をみるような感じがした・。呆然とし、なにもできぬまま
「もう、これは両親は死んだな」と、思った。
交通機動隊の白バイがむなしく走っていた。彼は、橋げたのしたにおしつぶされたトラックに駆け寄り、運転席をのぞきこみ、
必死に声をかけている。あの白バイの警察官。次余震が来たら危ないとも思わず、懸命に救助しようとしている。きっと、彼もPTSDになったとおもう。
今更思う。43号線は二本の路線は使えて、なんとか走行出来た、路の上にはたくさんのリベットが散乱していた・。高速道路のものだろう。
まだ、6時半ころ、車は少なかった。驚くべき光景をみて、青木が近くなると、北のほうには大火事が起きていた・。
青木の火事 幸形ノブユキさんのサイト
http://www.snobuy.com/vv2/sinsai.htm
火事というもので、あそこまで立ち上がる火災と煙をみたことがない。10メートルはあっただろうか、その煙のせいで、あたりが暗いのだ。
もう、驚くべき光景が続く。住吉川をすぎ、旧国をいくことにした、住吉、御影とだんだん近づくたびに、ああ、もうあかん、
祈るような気持ちだった。
すこし遠くの駐車場に車を止めた、あちこちの家がつぶれていた。つぶれてない家のほうが少ない。
もう、家を見るのが怖かった。
しかし、不思議に家は立っていた、後にいろんなことが判明するが、とりあえず、立っており、おかんとおとんを呼ぶと、
おかんが出てきた。
「あんた、はやいな。家じゅうガラス破片がとんでるから靴はいてあがり」
おかんはそういった。
おとんは、どこ? と聞くと、八幡のおっちゃんのとこにいってる。
「それよりも、むねおちゃんのいえが大変なことになってる、家の中に二人うまってるんや」
「ええ、たいへんや」
「そうや、みんな恐がってはいろうとしないのや、容子ちゃんが外で叫んでるんや」
「よっしゃ、まかせておけ、なんか軍手と、バールみたいなもんはあるか?」
岩崎さんの家は二階が倒れ、路半分に押し出されていた。岩崎さんの家との付き合いは長く。様々なことが思い出とともにあり、
なによりもおばさん、おじさんにお世話になり、長男の宗男君は年下で遊び相手、外で叫んでいた容子ちゃんは同級生。
なんとか、助けるぞ!そうおもい、二階の窓から入った。遠巻きにみていた近所のおじさんや、幼馴染の子分であったあきらくんも
応援に来た。二階から入れたのはよかった、屋根をつぶして入る方が大変なのです。
二階の部屋の階段、下に降りる、そこにはタンスや木材が集中しており、手掘りで下へと向かった。
何しろ、タンスの奥にあるような贈答品のもの、押し入れの奥のものなどが山のように出てきた。
1時間か2時間格闘していただろうか、上のおじさんは大工らしく、上から僕に指示出して、あれとれこれとれといい
それを明君がそとにだす、そのくりかえし。
「いま、出しますから、大丈夫ですか!」声をかけだした。安否も不安だった、返事はあった。
「あんただれ?」おばさんが穴の奥から声を出す・・。
「あ、ぼくです。たつおです」
「そうか、たつおくんか・・。」
そうしているうちに、穴がポッカりと開いた。
おばさんとおじさんをそこから引き出し、ふたりともなんとか、生きて出られた。
おじさんは、足に大やけどおい、ストーブを必死に消そうとして、上のお湯が足にかかったらしい。
明君が、自分の家に招き入れて、ぼくの仕事は終わった。すごいほこりで喘息の発作がでてきた。
僕の服も靴もどろどろだった。そんなことより、助けられたことで嬉しかったし、おじさんがストーブを止めなかったら
この辺りも大火事で焼けのはらになっていただろう・・。
そんな、1月17日 朝であった・。
空を見ると、のろしのように、あちこちで、火災が発生しだしていた。
おとんが、帰ってきた。親戚の家はたいへんなことになった。全壊や。
ぼくは、自分の店のカギをかけずに来たことを思い出した。
つづく。2025/01/09 記す
