阪神大震災の記憶 4 山根さつきさん

いろんな情報がはいってきた。あの人が亡くなった。この人が亡くなった。

同級生で唯一被害にあった、亡くなったひとがいた。

山根さつきさんだ。

大人になってからは付き合いがなかった、御影市場と大手筋商店街で、それぞれ、鶏肉や とり鉄を兄弟でやっており、おとんの幼馴染だった。

その娘さんだった。タンスが倒れてきて、頭を直撃したらしく、すぐに亡くなったとか、

家も近くだった、

 

ぼくとは、御影中学まで同じだった。中学ではバレー部だった。

子供を二人残して亡くなった、

 

御影中学の思い出、

 

下の新聞切り抜きは 神戸新聞さんの切り抜き。神戸新聞さんは本当に震災のことを丁寧に記事にしてくれた。

もう10年前だろうか、三宮の震災追悼の会で さつきちゃんの娘さんが 遺族代表で スピーチをされた。

ぼくと、大西と、魚住と、荒川さんと数人で、駆け付けた。

娘さんは 美容師になられていた。其の後、結婚されたようで子供もできたと聞く。

山根さんではないが、その名前は祈念碑に刻まれている。

 

福田学級のさつきさん、なら遠足で  小6 

今はもう昔 大手筋商店街。

阪神大震災では6000人以上の方が亡くなった、みんなに、それぞれの人生があり、

みんなにそれぞれ思い出という 時  があった。

その時は、もう巻き戻すこともやり直すこともできない。

家族を失った人、親を失った人、友達を亡くした人、

みんな、それぞれ悲しい思い出となり、そこから立ち上がって前に進んでいった。

あれから 30年。

あのとき、助け合うこと、守り逢うこと、命を大切にすること

そういうことをしみじみ分かった。のに、いまは、どうなんだ・・。

震災経験者がどんどんへり、いずれ誰も語らなくなったころ

またしても災害がこの街を襲うのかもしれない。

さつきさんのご冥福をお祈り申し上げます、なつきちゃんが、しあわせになりますように

いいお母さんになりますように、僕は祈る。2025/01/11 つづく

追記。神戸新聞さんの切り抜き。山根さつきさんの娘は、もう二人こどもを・・。しかも、女の子は1.17に誕生された。

なんと、すごいことだと思った。前を向いて、進んで生きてゆく、果敢ななつきさん。さつきさん、そっくりや、

涙が出ますね。 がんばっていこう。 2025/01/24 追記