1995年は、本当にいろいろなことが起きた、この地震の前後であったのが、オウムサリン事件、一連のオウム問題がおきる。ひどい話だった。
すさまじい規模のテロである。
そして、少し違うがインターネット、Windowsの発売であった、
僕の中でも、神戸夢野店に伊丹から夏前に異動が決まった。震災復旧の工事も遅れ、再オープンして数週間であった。
あったかいものが食べれる。水が出る、ガスが出る、電気がつく。お風呂にはいれる。
このあたりまえのことが、当たり前ではなくなり、冷たいかちかちのおにぎりを食べたり何日もお風呂に入れない、
自分の御影の家も、最後の大阪ガスが復旧したのは半年後であった。
それから、家の半壊判定、全壊判定。あの赤い張り紙。危険 建物にはいらないでください。
そして、罹災証明書。あの悲しい、赤い張り紙。そして、誰かが置いた花束。そこにはぬいぐるみもある。
なんとも悲しい風景。ああ、あそこでもここでも・・・。
でも、火災で全焼してるところは、燃え尽き、あとかたもなく。溶けたガラスや未だくすぶるあたりに、
亡き人の骨を探す人々。
もう、絶望以外のなにものでもないだろう。
世界から日本国中から、義援金が届き、ボランティアも手探りで行われていた。
自衛隊のみなさんも、よく、水をくれた、給水車には世話になった。
自衛隊のみなさんへの見る目がかわったのが、阪神淡路大震災からだとおもう。
兵庫県知事や市長などは自衛隊要請に戸惑いを見せ、まあ実態がつかめていたかったのだろうけど
これも、ひどい話だった。
そして、当時の社会党の村山総理。当時は危機管理というものが存在していなかった。
村山総理は、自分の遅れの責任を反省し、頭を抱え込んだという。
兵庫県からはなにもあがってこないのである。当然、連絡もつかないのであった・。彼らを批判するつもりはなく
其の後、与野党ともに、地震の対策、復興への足並みをそろえたと思う・。
以下 引用
自衛隊は中部方面総監部のある伊丹の部隊が真っ先に倒壊した阪急・伊丹駅に偵察班を派遣したが、本格的な災害出動は、午前10時頃に行われた兵庫県知事の要請に基づき、姫路の部隊が出動した。だが、神戸での救助活動は午後一時過ぎからだった。社会党の首相は自衛隊嫌いで出動要請をためらったのでは、といった批判が噴出した。事務の官房副長官だった石原信雄(現地方自治研究機構会長)が反論する。
「出動をためらったなんて絶対にありません。自衛隊が見えないと首相官邸に随分、電話がかかってきたから、私も気になって防衛庁の村田直昭防衛局長に電話で言ったら、『やっています。道路が大渋滞で、主力部隊が入っていないだけで』と言っていた。それが実態です」プレジデント様出典
https://president.jp/articles/-/656?page=2
本当に、村山さんもよくがんばってくれたし、自衛隊の人々の活動は、其の後の地震災害に大いに活躍されてゆくのである。
義援金の話にもどろう、ぼくも店で義援金をつのり、自分も万札を入れて5万近く、義援金として送った。
阪神・淡路大震災では、全国から約1,800億円の義援金が集まりました。これは当時としては戦後最多の額でした。
義援金は、被災者の生活を支えるために、死亡見舞金や住家損壊見舞金、住宅助成金などの形で支給されました。
第1次配分:震災から15日後の1995年2月1日、緊急性が高く被災状況が比較的明確な人々に10万円の見舞金が支給されました。
第2次配分:被災状況が詳しくなるにつれて、個別の状況に対する見舞金や住まいに関する助成金が支給されました。
第3次配分:義援金の寄託状況やこれまでの請求状況などから追加配分が可能となり、生活支援金が支給されました。
海外救助隊としては、スイス災害救助隊(1月19~22日)、フランス災害救助特別隊(1月21~24日)、イギリス国際救助隊(NGO、1月23~26日)などが活動した。
兵庫県によると、県内で阪神・淡路大震災の復旧・復興関連事業に投入された費用は総額16兆3千億円。 このうち被災地の自治体などは計約8兆円を負担した。神戸市も兵庫県もまだ、震災のお金を返している。
阪神・淡路大震災の経済損失
社会インフラ等経済ストック(社会資本・住宅・民間企業設備)の被害額については、震災発生から2週間足らずを経た3月23日に、内閣府から月例経済報告等関係閣僚会議において報告されている。
これによると、その被害額は約16~25兆円と試算された
続く 2025/01/15記す