京都の下宿の話。

学生時代の話をしよう。

一年のときは、実家の神戸から2時間かけて、上賀茂の大学まで通学した。何しろ、アクセスが悪い大学なんです。高校まではなにしろ御影町内の10分でかよえたのに、この変化にかわりはて、疲れ果てた、おかんは、下宿をすると金がかかるので大反対であった。一時間目に出る時は、阪神御影駅を5時46分の始発ででる、おかんが起こしてくれた、おかんもよく目覚めたと思う。しかも朝は特急もないので梅田まで鈍行である。梅田では阪急の電車に乗り換える。始発だから座れる。大宮まで急行でゆく、昔は大宮は栄えていた。大宮駅をでて、堀川道まで、市バス54系統に乗り換える、このバスが命がけでのらないといけない。京都の女子高生たちが山のように並んで、我先にのるのだ。たいてい、そのけつに降りおとされて、次のバスにのる。そして、上賀茂神社に到着する。しかし、まだまだ、今度は青色のスクールバスに乗り換える、これがまた、なかなか、こない。みんな並んでる。何とか乗り込み 8時過ぎにやっと付きます。

ああ、やっと着いた、ピロティの自販機の珈琲をのみ、おもむろに掲示板をみると

なななんと、休講だ。

 

先生も人間だから、風邪もひくが・・。今日始発にのってきたのに、もう、帰ることしかない。

それだから、サークルにも入れず、水曜日の午後は、甲子園で自動車教習。それも落ち続ける。

土曜日までみっちり。

しかも、外国学部のスペイン語。もう、予習をしていかないと怒られる。難しすぎて、やるきもおこらず。

なんで、外語にきたんだよ。

しかし、もっと、つわものの遠距離通学の女の子がいた、大阪の南部のほうで、路面電車、環状線、京阪、京阪バス というメニューであった。

しかも、ゆきの京阪特急では予習を仕上げるというやつ。

ぼくは、軟弱なんだよ。

高校時代はまあ工業高校で普通かよりも格段に偏差値は落ちるが、屈辱感をばねに猛勉強し、最初の学年の実力テストでは学年一位になった。

つかのまの秀才は、大学入学とともに、凡才の落第生になるのだ・。

友人が大阪の南の方のやつも遠距離のひとが、

「通学往復5時間で、一日24時間のうちほぼ6分の一を電車ですごす。」

聴いていて、がっくりした。

とにかく、秋からは何とか、考えようとしていた。

大学の今は図書館のところに大規模な、大規模のバイクをきばがあり、

「そうだ、京都市内にバイクを買って、大宮から学校まで原付でこよう」

そうすれば、一時間は短縮できるぞ、帰りの阪急でいつもおなじの荒尾君と、約束して、夏休み明けにバイトで原付を買おう。

と、大宮駅ちかくで、バイクをあづかってくれるところがあり、そこに追いて、54系統の悩みの通学バスは解消された。

しかし、それでも夢の大学生活とは、夢ほど違う、味気のないつまらないものだった。

サークルにはいりたい、そう願って、人には遅れて冬前に落語長屋にはいった。

しかし、またしても問題は発生。

ぼくのあしの関節は曲がらない、正座ができない。

そして、一つ上の先輩にいわれたんだ。

「おまえの関西弁へんやなあ」

高知県の先輩はそういった、これは、なにをいわれてるんや、ここはあかん、と思いました。

奇しくも、北野誠先輩が数年前にいるのですが、彼もまた、同じことを言われやめたんです。

そういうこというのが伝統のようなもんだっらたしいです。

学年末のテストもさんざんで、単位も落とした、もう、一年目は、最悪だった。相当おちこんだ。

しかも、勝手に片思いしてた、みゅきちゃんが、結婚した。はやすぎにないか、

冬休みは早々と終り、原付で命がけで神戸までかえり、バイトを探した。

貧乏学生は休みはバイトで稼ぐ。海外なんか、いけるわけない。

魚崎の塩干物のバイトがあった。時給がよかった、二か月半、バイトし 20万をもち

おかんを説得した、自分の稼いだ金で下宿したいと。まあ、家出みたいなもん

しかし、下宿はまだ決まっていなかった、探す暇がなかった。

4月1日だった、学生課の下宿の掲示板を見に行った。とにかく、安い家賃だ。

掲示板にあった。三畳一間 6000円、風呂なし、

記号は ナの一、僕は申込用紙をとり、書いていると、横にも似たようなやつがいて

同じ番号を書いている。ぼくは、まずい!!とおもい、さっさと書いて、申し込んだ。

彼は数分遅れて提出。

「あ、これはもうだめです、一杯です」彼は、がっくりとし、去っていた。あの姿を忘れることができない。

あのとき、彼が数分先に申し込んでいたら、ぼくは、小山コーポにいくことはなかったし、

友人東俊一くんの事故死もめぐり逢うこともないし、のちのミニFMも誕生はしていない、

下宿を決めて、引っ越しは、一年の夏にバイトして仲良くなった、新幹線の新大阪駅のバイトだが

彼のスズキアルトを借りて、荷物を積み込んだ。

おかんは、淋しそうな顔をしていた。心配そうでもあった。

2024/12/26 記 続きます