東俊一君の思い出 05

1981年12月20日頃

三条河原町タクシー乗り場。23時過ぎ・・。ぼくはそこにいない。

東俊一くんは、同志社のテニスサークル「アップル」の忘年会を終え、タクシーを待つ列に並んでいた。

そこには、麗しき美幸さんもタクシーを待っていた。二人でたわいのない話をしつつ。

東君は、どきどきしていた、みんな彼女がいるのだが、居なかった。美幸さんを好きになっていたのだ。

タクシーの列はどんどんまえにいく、次から次へとくるが、ふと、途切れた。

「あのさ、美幸ちゃん、付き合ってる人いるの?」

驚いた顔で、東君をみる。

「よかったら、ぼくとつきあってほしい」

もう、そこにタクシーが来た。美幸ちゃんが先に乗る順番。

「ご、ごめんなさい、付き合ってる人がいるの・・」

そこにタクシーが来て、美幸ちゃんは乗り込み、去っていた。

呆然とする東君は、ひとりタクシーを待ち、歩いて帰ろうか、と考えているうちに

タクシーがきて、乗り込んだ。

20分ほどで小山元町につき、大きなシャッターをあけて、暗い40度の傾斜がある木造の階段を上がった。

自分の部屋に行く前に、鍛治さんの部屋に行った。

ふすまをあけて、鍛治さん!とよんだ。

「ああ、ふられたよ!ふられた!」と、鍛治さんに報告。

鍛治さんも前日に聞いていたらしく、

「そうか、撃沈か、美幸ちゃんに振られたか、俺とおんなじやな・・」

鍛治さんも地元の高岡で、同級生のみゆきちゃんに告白して、

いい友達でいてください。

そんな話が聞こえてきたので、ぼくも三畳一間の部屋から、逢坂は下の部屋から集まってきた。

「ふられたよ・・」

ぼくは聴いてなかったので、鍛治さんも東君もそれぞれ、みゆきという名前の女の子に振られたので

「ぼくもみゆきちゃんが好きだったんです。中学三年のときラブレターで告白して振られましたよ」

偶然にも三人で同じ名前の女の子に恋をし、振られたのである。

逢坂だけ、彼女がいた。

もてない男の下宿だった。

ぼくは、数年前、飲み会の写真をしげしげと見てると、どうやら東君を振った子は、同じサークルの男と付き合ってたようだ。

それも少し前だろう、そう推測した。表情と写る位置からわかる・。

でも、振られた方より、振ったほうが実はつらいのである。

東君が事故で死んで、ショックだったんだろう。下宿に何回も来てくれた。飲み会に参加してくれて、

福井の実家にも、いったと、ご実家のお父さんから聞いた。

ぼくらは、東君の一周忌の飲み会のとき、それぞれ。東君を振った美幸ちゃんと写真を撮ろうと決めていた。

東君がきっと、怒ってるのかもしれないが、

そんなことまでしないと、美幸ちゃんが可哀そうだったんだ。

もう、どなたかと結婚して、孫までできてるだろうか、

淡い、みゆきちゃんへの失恋三人のはなしだった・。いい思い出である

 

#東俊一

そのとしにはやっていた。

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
夢のいた場所に 未練残しても
心寒いだけさ