某日。たぶん、4月ごろだろうか、下宿の大江がまじめにやっていたESSを辞めてしまった、春には合宿に行き、がんばっていたのだが、何故かやめてしまった、スペイン語の一つ下の後輩が僕に相談してきた、大江君がやめたんですよ・・。
それから、大江君はなぜかモラトリアム状態になり、土日はバイトに励み、平日は浅田や岩崎と遊んできた。人のこと言える立場ではないが、というもののぼくも学生生活、何を一貫してやっていたかというと、何もないのだ、学生時代における時間はすぐにおわってしまう。
逢坂も、相談してきた、「最近、大江君、なんかなんもしなくて、よくないですね」
ぼくもそう思う、三人で話をしてみようといった、逢坂は軽音で、楽団を作り、日夜トランペットの練習をしていた。
浅田も大江君のところにきていたので、みんなで僕の部屋に呼んで話した。
ぼくは、20歳で死んでしまった友人の分まで大切な時間を 使ってほしかったからだ。
「大江、最近どうやねん、なんかやらなあかんぞ」
まあ、彼はESSをやめて、ほっとしてるのだろうか、そっとすべきだったのか、今となってはわからないが
レッツビギン!
「そうや、なんか、サークルを作ったらどうか・・」
「どんなサークルがいいですかね?」
ぼくは、思いつくばかりにアイデアを出した。
そんな中に僕のアイデアで、MINIFM放送局があった。当時、原宿にできたばかりでうわさになっていた。
京都もFMの民放がなく、NHKしかなかった。
大江は、興味をしめした。
「長谷さんも参加してください、一緒にやってくれれば、僕はやります」
そこから、サークル作りが始まった、何もないところからラジオ局を作る無謀な行動が4回生の春に始まるのだった。
あくまでも、ぼくは、サブであろうとしたが、実を言うとラジオは大好きだったので楽しみになった、
まず、なにからやるか、何が必用か。
