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鍛治さんが卒業し、3月になり、相変わらず、ひたすらバイトの日々だった。スペイン語の友人たちもそれぞれの田舎でひたすらバイト。なかには海外旅行や留学するのもいたが、貧乏な僕らはバイトしかない。

下宿は一階に車に車庫と、その奥に8畳の部屋があり、そこは一年後輩の逢坂の部屋だった。二回には、大江君が北側の部屋に入り、ぼくは合間の三畳というせまいせまい部屋にいた。

鍛治さんの部屋が一番日当たりもよかった、逢坂がその部屋に移り、ぼくが逢坂の部屋に降りた、寒くて暗い、空気がよどんでいた。

そもそも、そこは東君の友人の藤井さんがいた、藤井さんは京都大学法学部で、剣道部だった、冬でもはだしだった。なぜか、僕と将棋をやると必ず負けた。

あいかわらず、ぼくは彼女もいなくて、なんのとりえもないつまらんモラトリアム状態であった。

4月になり、動きがあり、三畳の部屋に下宿生がきた。新一年生である。

大江君がが下宿にきたときも歓迎会をやり、友人たちも連れてきた。

1983年4月12日火曜日

とにかく、暗い部屋を明るくするために、ぼくはさまざまな部屋の模様替えをした。みんなに馬鹿にされたが、天井の板に、アルミホイールを全部張り付けた。ミラーボールのように光りを反射させるため、カーテンの生地をたくさんかって、部屋の壁に貼り付けた。

小山コーポには幽霊がでた。みんな、金縛りにあった。ぼくは、夜明けにすごい幽霊を見た、ぼくのよこを通過していった。通過するときにブーンという音が聞こえた、幽霊というよりも妖怪のようだった。

しかし、恐さは感じず、眠いのに、でてこんといて、と、言ったのを覚えて居る。

部屋で大江と話をしてると、新入生があいさつに来た。経済学部の那谷というやつだった。一浪して、京都産業大学に入学。

ぼくは、彼に、歓迎会をするので、大学で知り合った友人を下宿につれてくるように言った。

木曜日は、拾得で、逢坂のバンドが出ることになり、大江と那谷を連れてタクシーで、ライブハウスに向かい鑑賞する、爆音で耳がおかしくなる。

金曜日に 僕の下の下宿の部屋で那谷君の歓迎会を行う。僕のスペイン語の友人の清水、東、法学部の安藤、逢坂、逢坂の友人の川うお、大林君、大江くん、大江君の友人の岩崎、朝だくんもよび、東君の友人のもとさん、小林君、藤井さんまできてくれた、15人もきたのだった。

那谷くんは友人の大和君と前中君を呼んだ。大和君はその日はぼくの下宿に泊まり、朝飯を食っていった。

たのしい歓迎会だった。

 

 

しかし、歓迎会をしたにもかかわらず、新入生はあまり下宿にこなく、縁も思い出もなくなったようにおもい、残念。

東君の友人の小林さん藤井さんもとさんなどは、みんなよく来てくれた、

2025/05/29