あの時代に群がり起こるように、出てきたフォークシンガーたち。いまとなっては、なんであんなにたくさんいたのか
不思議で仕方ない。じゃあ、いまはどうか、若い人たちは何を聞いてるのか、わからない。けど、昔ほどのものはないだろう。
出てこれないか、出てこないなんだろう。
ふきのとう 山木康世と細坪基佳によるフォークデュオ。オフコースなどと同じように再結成はない。
山木さんがつくって、つぼさんが歌う。というパターンが多く。そのどちらの才能もすばらしいものだった。
ぼくにしてみれば、お互いの嫉妬のようなものも湧いてくるのわかる。
山木さんの曲や詩を作るその才能。
つぼさんの、すばらしい歌唱力、音域の広さ。
どちらのもすばらしいが、山木さんもボーカルしたい、坪さんも歌は作る。そこかな、コアなファンではないが
「白い冬」で、最初に出てきたときは、驚いた。なんていい曲なんだ!一発目から大ヒットするのだ。
以下 ウイキペディア参照
1972年、北海学園大学にて山木康世と細坪基佳と他二名で、マッド・スライド・スリムを結成。その後、山木康世と細坪基佳の二人でふきのとうの前身である、メロディーを結成。ニッポン放送系列「バイタリス・フォークビレッジ」アマチュア・フォークコンテスト札幌地区予選に出場するが、一次予選落ちした。その後、NHK札幌放送局のテレビ番組にふきのとうに改名して出演した。1973年、コンテストに多数出場し、ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト北海道大会にて「帰り道」で優秀グループ賞、また、日本テレビ『キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!』で準優勝した経験がある。
千春が世話になった、STVの竹田健二、彼はふきのとうも可愛がった。

竹田さんは1977年にお亡くなりになりました。早すぎます。千春はふきのとうよりも後輩になるが、中島みゆきも彼には恩義があったのか
『ほうせんか』という曲をシングルレコードBに入れています。
1992年、5月8日に北海道厚生年金会館でラストライブ『ever last concert』を開催し解散。ライブでは、ステージに登場した二人はまず、互いにがっちり手を握り合い、曲を次々に披露。アンコールは2回を超えて、山木が「守衛のおじさんがいいって言ったから」と、コンサートは夜10時を過ぎても終わらなかった。これで結成からおよそ18年続いたグループに幕を降ろした。14枚のLP作品を残して