内海先生の話
今思い返しても、すごい先生だった.御影の小学校で田村先生とお別れし、みんな、同じ中学にいくのだが、1年1組 となった、あのタチューもいる。残念ながら大好きだったみゆきちゃんとは違うクラスになった。担任は 女の先生、内海先生だった。一年から三年まで理科を担当された。先生は独特であった。先生は白衣をきて、チョークをポケットにいれるくせなのか、ぱたぱたと白衣をたたいていた。
授業は、授業のようで授業ではなかった。どういう意味かというと、先生が感じたことを話すのだ、教科書の授業もされるが、不思議なことに授業の化学記号や化学反応の話とかは覚えていないが、先生の話はたくさん、覚えている。当時、テレビで 「アルプスの少女ハイジ」が放送され、すごい人気だった。先生は、ハイジのような童心と清いこころはいつまでも持たないといけない。という話をされた。話を聞きながら、ぼくらはまだ子供なので童心そのものなんですが、と、内心思ったものだ。
当時、阪神高速道路神戸線が完成した。先生は、その構造の話をしだして、見学か何かいったのか、揺れはどう吸収するかについて、質問をしたらしい、上部で横揺れを吸収するとか、先生は、たしか、横揺れが異常に発生したら危ない。というような話をされた。大震災で、支えるべき橋脚がねじれて、高速道路は崩壊した。
六甲山の話も何回もされた。山登りが好きで、自然の草花がおすきのようでした。「山の上には貝殻がでるんだよ」もちろん化石であるが、六甲山の成り立ちと断層について話をされた。同時期に、西区の高尾山に自宅を作るのだが、あそこは断層があり、危ないというので柱を強化した。近くにある学校にも断層があるので注意したが、誰も相手にしなかった。
のちに、科学博物館の委員になられるのだが、来る客来る客に、「神戸の地震のあぶなさ」と語っておられ、最後には館長に怒られたという話。
そして、地震が神戸にきた。たくさんの人が亡くなった。内海先生の言葉を信じた人はいたのだろうか、話は続く


上の画像、1974年ごろ。下の画像、内海先生とわたくし 2018年ごろ。
先生は折り紙を広く、海外にも教え、日本由来の折り紙を子供たちに教える本もだされている

そして、科学者でもあり、自然科学の範疇を超え、自身の大陸経験からか
万里の長城の調査を始めた、内海先生は、中國の急速な近代化による崩壊が進みつつあった、
万里の長城の全調査を 福田氏とともに、行った。先生は、教育者として、やはり読みやすくあるべきらしく
母と子でみる、サブタイトルにいれた。

ウイキペディアから出典引用。著作者Maximilian Dörrbecker (Chumwa) - This map results from a map request to the Kartenwünsche in the Kartenwerkstatt. You can make as well a request for a new map.
あの広大なアジア大陸のでかい中國。
現在、万里の長城は中華人民共和国政府によって、重要な歴史的文化財として保護されているが、万里の長城はあまりにも長大すぎるために、メンテナンスの手が行き届かず、観光用に整備された一部のほかは、かなりの部分が、明代に建設されて以降整備されることもなく、そのまま崩落するに任せている状態である。2006年4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は、全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告があった。2015年には、明代長城のうち、およそ3割が風化やレンガの略奪などで消滅したとの報道があった
2012年6月5日、中華人民共和国国家文物局は、秦代、漢代など他時代を含んで調査したところ、万里の長城の総延長は従来の2倍以上の21,196.18 kmであったと発表した ウイキペディア参照。

