THE ALFEEさんは、50周年を迎えた。おどろくべきことです、 1973年に結成、1974年8月25日にデビューした、
厳密にいうと 52年目だ。しかし、簡単に50年というけれど、まあすごいわ。
小田和正曰く「バンドは解散するのが宿命」だと、
1980年になると、ニュウミュージックとか言われたグループがどんどん解散した。解散しないのはないくらい。
もう、うんざりするだろうな、家族より長い間、一緒にいて、はしの上げ下ろしから嫌になる。金のこともある。
あいつだけ、何で人気があるんだ、おれも一人でやってみたい。
とか、あるとおもう。しかし、アルフィーはずっと売れなかった。
73年からデビューして1983年の「メリーアン」でヒットするまで、10年かかってるんだ。
オフコースは1967年というから、もっと古い。さよならがヒットしたのが 1979年 12年の苦節があった・。
僕は思いますが、簡単に売れてしまうとあとで困る、オフコースは事務所がつぶれたり、大変ことになったが
アルフィーは田辺エージェンシーということろがしっかりやってくれたので、よかったと思う。オフコースはなんせ小田さんがマネジメント社長も
してるから大変だったと思う。
アルフィー三人ともボーカルであり、それぞれの歌がシングルでヒットしてる。ほぼ、タカミーが作っているが、
彼らはいつまでも変わらないのである。
彼らの下積の話、ウイキペディア参照から
レコード会社の所属のない時代が続き、事務所の先輩である研ナオコ・由紀さおり・かまやつひろし・堀内護 (MARK)・大野真澄 (VOCAL) 等のバックバンドを務めながらライブハウスで活動を続けた。ステージでは何とか観客をつかもうとコミカルな演出やMCを行う等、自身を印象付けようと努力を重ねるが、その一方で「このままでいいのだろうか」というジレンマに悩みながらの試行錯誤が続いた。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始めた。中でも大野真澄(元ガロ)からの助言を受けた高見沢が、楽曲の質、量ともに一番優っていた。2019年の春ツアーのパンフレットの付録のトークCDでは、バックバントとして多くの先輩アーティストにお世話になり、中でもかまやつと研のツアーでは、アルフィーのコーナーを設けて頂いたことを明かしている。
ライブハウス時代の楽曲で、再デビュー後にレコード化された曲、タイトルが変更された曲もある(シングル曲やアルバムのページを参照)。また現在でもCD化されていない曲もある。「ラブレター」や「星空のディスタンス」は当時は、ギターインストゥルメンタルとして演奏されていた。
彼らも悩んでいたのだ。歌えること、ステージにたてること、レコードをだせること、ファンが来てくれること
そういうのをいまでも大事にしてるからこそ、今もあるんだろうと思う。
彼らのステージをみていても、三人とも衣装が違う。好きなようにさせる、これがいいんでしょうね。
僕が好きになったころは
オールナイトニッポンのこうちゃんの火曜日二部。所さんのファンだったので、所さんのオールナイトにもこうちゃんはよく出ていた。
こうちゃんは、当時は、パーマを当てて、林家三平の どうもすいませーん、をよくされていた、トークも面白かった。
タカミーも桜井さんもよく出ていた。「無言劇」「恋人になりたい」のシングルを買った。
友達でいましょう といわれたのんだよぼくも
すごい、今聞いてもいい歌なんです。
その高校のぼくが、23歳のころ、7年ぐらいあとだ・・。
すかいらーくに入社し、大阪佃店に配属。
控室で、相川さんという可愛い女の子がいた。控室で話していた。
「今度の夏に、横浜にいくんですよ!」
「そうなんや、あそびにいくんの?」
「アルフィーのライブにいくんです、夜行バスで・・。すごい楽しみなんだです」
ぼくは、その話を聞いたとき、じわーー、と、きた。
アルフィー、売れてよかったなあ。もう メリーアン から数年たってるが、何曲もヒットをかましていた。
ベストテンにもでていた。
50年と簡単に言うが、ホント偉大です。サザンは何回も休んだり、解散しかかったが、
彼らは、休んでない。汗をかいて、涙を流し、ステージを愛してる。




つづく